Lectures from Memezawa Medical Clinic

脳梗塞治療の進歩

日本医科大学付属第一病院内科 (日本医科大学第二内科学教室)

講師 目々澤 肇

 国民皆保険が進み、さらに地方自治体や職場での健康診断が進んだ現在、高血圧をお持ちの方々のうち、治療を受けていない人はごくわずかとなっています.こうした状況から、以前は国民死亡のトップの座を守ってきた脳出血は十数年前にガンにその座を明け渡し、次第に減少しつつあります.それに対し、美食や運動不足などから体の細い動脈がつまる病気、たとえば心筋梗塞や脳梗塞などといった動脈硬化に由来する病気がじわじわと増えつつあることはご存じのとおりです.

 とはいえ、ここ十年程度の間に、「脳梗塞を起こして入院してしまいまして」といいつつ退院後も以前と変わらぬ日常生活を送っておられる方々をよく見かけるようになったと思いませんか?一昔前の脳梗塞は、いったんかかってしまうとほとんどがマヒ(体の左半分などが動かなくなる状態)を残すなど、とても退院後に以前の仕事に復帰するのは無理と考えられていたものでした.この違いは、脳梗塞に対する治療の方法が進歩してきたために現れてきたものといえます.今回は、こうした脳卒中に対する治療がどのような研究から進歩してきたかをご説明いたしたいと存じます.

 脳梗塞とは、脳の血管が詰まることによって大切な脳の組織への血液供給が絶たれ、その領域の脳組織が死に至る病気です.ただし、水から揚げた魚がしばらくは空気の中でも生きていられるように、脳の組織も血管が詰まったのと同時に死んでしまうわけではありません.また、一本の血管が詰まったからと言ってその血管の通っていた領域すべてが死んでしまうわけではありません.順を追って説明いたしましょう.

図1:脳梗塞が生じたのち、血流の再開により治療しうる領域の検討

 図1をご覧下さい.実験動物(この例ではラットを使っています、図の1枚1枚はそれぞれの動物の脳の断面を示します)の、大きな脳血管の1本を特殊なナイロンの糸を用いて詰まった状態を造ります.この方法で作成された脳梗塞は人体で見られる脳梗塞とほぼ同様なものとなります(写真1).これは、動物実験に関する倫理委員会の認可を受けた方法で、個体差がでないように注意深く行われます.

写真1:脳梗塞を起こして細胞が収縮し、 くぼみを生じたラットの脳

 すると、15分だけ糸を詰めた後に糸を抜き去って脳の血流を再開させると1週間たっても脳梗塞は生じていませんでした.糸を詰める時間を徐々に長くして行くと、つまり、脳の血管の閉塞状態が長くなると1週間後に見られる脳梗塞は次第に大きくなり、120分、180分も血管を詰めていると、再開通をしなかった動物とほぼ同じ脳梗塞が完成していることがわかりました(図の黒く示した部分が完成した脳梗塞の領域です).つまり、脳の血管が詰まったとわかったら出来るだけ早く「詰まり」を取り除くと脳梗塞が小さくなることがわかったのです.治療を始めるミニマムの時間はだいたい1時間でしょうから、この血流を再開させる治療を2〜3時間のうちに行うことによって脳梗塞に陥るのを防ぐことが出来る、つまり、治療しうる領域は図の右下のアミの部分となります.

 図2 

 図2 左は、脳の中の血管支配を簡単にあらわしたものです.脳は大切な臓器なので大部分は2系統の血管が張り巡らされていますが、一部には1系統の血管でしか血液供給がなされていない部分もあります.つまり、図の上でA、Bで示した血管のうち、もしBが根本で詰まったりすると、Aの血管からも血液供給を受けているCの部分はなんとか生き延びられてとしても、Bの血管からしか血液供給を受けていないDの領域は死んでしまうことになるわけです.ただし、Cの部分は、治療がうまくなされないと、死んでしまうDの領域の影響を受けて組織のむくみ(浮腫)などにより共倒れになる可能性があります.こうした、治療が可能な領域をはっきりと認識し、何が適切な治療なのかを考えることが私たちの研究のテーマなのです.普通、治療可能な領域は、図2左に示すように、治療が全く不可能な領域をとりまくように存在し、脳梗塞が生じた後、エネルギーや代謝の障害、あるいは組織の浮腫が異なる程度で進行する事がわかりました.

 従って、脳梗塞の治療は、この「治療しうる領域」がターゲットとなります.現在のレベルでは、@患者さんの到着が発作を生じた後ごく短時間であれば詰まった血管を開通させる、A脳の浮腫をとる、B血流の下がった場所のエネルギー・代謝障害を改善させるなどの方策がとられます.

 特に、@の方法は、心筋梗塞の治療のために開発された薬剤の応用で大きな効果を上げています.こうした薬剤の検討にはもちろん先に挙げた実験動物による研究が役立ったことは言うまでもありません.さらに最初にご説明した「2〜3時間以内の治療開始」という実験での予測は米国での実際の患者さんに対する使用経験からやはり3時間以内の使用開始がもっとも望ましいと報告されています.

 また、時代的にはAの薬剤が実用化されたことが内科における脳梗塞の治療成績を向上させる推進役となったことが重要と考えられます.それまでは脳梗塞の患者さんは、数日間ベッド上で安静にさせられてブドウ糖の点滴を続ける以外に治療法がなかったのです.この脳の浮腫をとる薬剤は、当初は500mlの大きな点滴で発売されたのですが、その後の私たちの内科の研究室などの研究により、少量を頻回に投与することが望ましいことがわかり、現在は200mlのボトルが主流となってきています.

 Bについては、現在山ほどの薬剤が発売され、さらにより決定的な薬剤を求めて開発がなされています.ただし、危機を脱した後の慢性期に使用するものはあってもまだ急性期に大きな効果を有するものはまだ発売されていません.

 さらに、脳の温度を下げることも脳梗塞の有効な治療法であることがアメリカやスウェーデンに於ける日本人の研究によりわかっていますが、現在ではまだ実際に脳梗塞の患者さんに応用できる手法が見いだされてはいませんが、ごく部分的には脳外科の手術後に低体温療法が用いられ好成績をあげており、脳梗塞に応用することができる日もそう遠くないのではないかと思われます.

 このほか、脳梗塞は再発があり得る病気のため、落ちついた後の再発予防も重要な課題となります.そのためには、血管が再び詰まるのを予防する薬剤も必要となることがあります.この方面もかなり方法論が突き詰められ、個々の症例に応じて適切な手段が見つけられ、再発の予防が出来るようになりました.

 むろん、こうした治療が選択されるには診断機器の発達も見逃すことが出来ません.それはたとえば脳の断層画像診断に使われるCT(X線コンピュータ断層装置)MRI(核磁気共鳴画像診断装置)であり、血管の状態を判定する超音波ドップラー断層装置であり、血液の固まり易さを調べる凝固マーカー検査であったりするわけです.これらに関してはまたいつか改めてご説明いたしたいと存じます.


本稿は96年10月発行の「千代田YSCニュース」1996年秋号に掲載されたものの一部です.

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