History of Memezawa Medical Clinic

目々澤醫院の歴史

<update:2003.5.28> 


 1933年の創立以来、本年で目々澤醫院は70周年を迎えます。そこで、古いアルバムを元に、当院の過去を振り返ってみたいと思います。しかし、アルバムには、診療室内部の写真等は全く発見されず、また白衣姿の写真も少ないため、外観写真ばかりとなってしまいましたがどうぞご容赦下さい。

 「めめざわ」というから、眼科かと思ったのに..と聞かれることがありますが、実は、「目々澤」の苗字は古く戦国時代の武将、伊達政宗公に由来しているという家伝があります。いわく、伊達政宗の奥州平定のおり、「米米澤(こめこめざわ)」という地の武士ふたりがよく働いたため、その二人に対し政宗公自ら「我が片目の代わりとなってよく仕えてくれた、コメコメの代わりに、目の時をあて、目々澤と名乗るべし」とのことで、以後当家の祖先は目々澤の姓を名乗るようになった、と。廃藩置県のあたり(初代院長の父:定廣)までは伊達藩の薬草園の管理をしていたとのことです。もう1件の目々澤さんのご子孫は今でも宮城県におられるようですが、なんと江戸川区内にも(当家とは血縁でない)目々澤さんがおられます。

 軍医であった祖父:定徳が小岩で開業し、終戦後職業軍人から医師となった父:俊夫が2代目となり、現在小生が3代目として診療を引継ぎ、今日に至っております。先代・先々代の築いてきた地元の皆様への信頼を裏切らぬよう、今後も毎日の診療に頑張るつもりです。


初代院長:目々澤 定徳(ていとく、明治18年〜昭和42年)


元陸軍軍医少佐

昭和9年、江戸川区小岩町7丁目にて目々澤醫院を開業


 当時の医院入口での写真です。この現在の入口とほぼ同じ場所で、東側の道路に面していました。中央左は初代院長、右が後の第2代院長です。この時は陸軍士官でした。その右は初代院長夫人です。第2代院長の出征の折りの記念写真のようです。


第2代院長:目々澤 俊夫(大正6年〜平成12年)


陸軍士官学校卒(第52期)、元陸軍少佐

昭和25年:千葉医科大学(現千葉大学医学部)卒

昭和27年10月〜平成10年8月:目々澤醫院院長

昭和39年〜平成8年:江戸川区立中小岩小学校 校医(勤続40年にて東京都医師会より表彰)


 職業軍人だった第2代院長は、終戦後千葉医科大学へ入学し、医師への道に入りました。卒業後、江戸川区二枚橋の片山病院勤務を経て当院を引き継ぎました。開業当初は初代院長の建物をそのまま使用していましたが、のちに診療所を改築し、レントゲン設備を導入しました。

 昭和30年代の当院の外観:左上写真の画面左側のとんがり屋根は、戦前からの建物で、遠くからもよく目立ちました(居間として使用)。診療所部分はその右側に増築されていました。最初の診療所と入口の場所が変わり、北側の路地に移りました。垣根の内側にある立て看板には診療科目が「内科・小児科・レントゲン科」となっていました。 母屋部分の玄関の左脇にある白っぽく光った屋根に写っている部分がお風呂でした。左2枚の写真にはかつて煙突が通っていた丸い穴の跡が写っているのがおわかりでしょうか?この当時は、住み込みの看護婦さんがおられ、母屋との間の小さな部屋が「看護婦室」となっていました。

 昭和39年に改築されました。上の写真と見比べるとわかるように、入口ドアはそのままで、診療所部分は外壁と窓サッシをいれかえるのみで内部配置は小変更のみ、レントゲン室を整備するだけにとどめ、「お神楽工法」と言われる技法で2階部分を載せ、母屋を2階建てで新築するという建て方となっています。おかげで2階部分は2棟が突き合わされた構造となってしまい、接合部の雨樋(建物を2分しています)にゴミや野球のボールが詰まりやすくなり、完成早期から雨漏りの原因となっていました。この時から表示される診療科目が「内科・小児科」となりました。この改築の約5年前、入口脇の覗き窓の下に(当時としては画期的な)インターホンがついておりました。また、昭和50年にはレセコンが導入されていました。建ち上がった当時は、やはり住み込みの看護婦さんがおられ、ちょうど診療室の上の二部屋を看護婦さんたちが使っていました。

 平成9年、CTも導入した現在の診療所が完成しました。建築中も診療を続けるため、それまでの診療所部分を残して母屋部分を新診療所(1階)+住居(2階)として新築し、その完成・診療移行後に改めて旧診療所を取り壊し、CT/レントゲン室を完成させました。積水ハウス・荻野氏の緻密なプランニングにより、工期のズレは建物の完成度に全く影響を及ぼしませんでした。この診療所になってから、診療科目を「内科・小児科・神経内科・耳鼻咽喉科」に改めました。完成当初は院内処方でスタートしましたが、平成10年には院外処方への切替を行い、LANによる診療室デスクトップからの処方箋印刷を実現しました。

 写真は第3代院長のスウェーデンでの恩師、ルンド大学Bo K. Siesjo教授ご夫妻がご来訪された際の記念写真です。→詳細


第3代院長:目々澤 肇(昭和28年〜)

昭和56年:獨協医科大学 卒

昭和62年:日本医科大学 医学博士

平成5年:スウェーデン・ルンド大学 Ph.D. (Doctor of Phylosophy)

日本医科大学内科学第二講座 非常勤講師

医療法人社団茜遥会 理事長、江戸川区立中小岩小学校 校医

略歴インタビュー記事

 平成6年頃(日本医科大学第二内科医局長時代)より、「2足のわらじ」状態にて当院にて週1回の診療を開始、平成11年に日本医科大学退職後、医療法人社団茜遥会を設立、目々澤醫院院長となる。「2足のわらじ」状態は現在も続き、日本医科大学付属千葉北総病院内科にて神経内科外来を毎週金曜日担当中。

 当院は現在まだ建て替え・移転・拡大等の予定はありません。ただし、平成9年完成時にLocal Talkで構成された院内LANは、時代のニーズに応え(素人工事で)100/10Base-Tのネットワークにアップグレードされています。また、2002年のワールドカップサッカーにあわせ、待合室のディスプレイにてTV/VTR視聴が可能になりましたが、今のところPCによる「ご案内表示」が主体となっています。


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